『居場所の社会学』 阿部真大
- 作者: 阿部真大
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
- 発売日: 2011/08/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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(1)誰かと一緒にいるからといって、居場所があるわけではない。
→居場所とは、客観的な状況がどうなっているかではなく、本人がそこを居場所と感じているかどうかによってしか測ることのできない、極めて主観的なもの。
(2)ひとりでいることはスティグマ*1化することもある。
→「手持ち無沙汰」からくる不承認感が羞恥心につながる。*2単に「寂しさ」だけで居場所のない人の苦しさを説明することはできない。ひとりでいることのスティグマ化も、人が居場所を求める大きな理由のひとつ。
(3)居場所の拡張は間違うこともある。
→居場所の拡張*3に失敗すると、みじめな結果を招くことがある。それは、自分にとって居心地の良い場所は、他人にとっても居心地の良い場所であるとは限らないからである。
(4)過剰適応はよくない。
→自分を偽り、集団に「過剰適応」することによって居場所を確保しようとするが、これが自分にとってストレスとなり、最終的には孤立を深めることになる。偽りの自分で確保した居場所は長続きしない。
- 闘争は、その原因だけを見れば、社会を解体させるものであるが、闘争それ自体は、解体を防ぎ、社会の統一に資するものである。*4
- 闘争によって、その集団に新しい規範が生まれることで、集団は変化に対応しつつ存続することができる。つまり、闘争が、集団を新しいステージにステップアップさせる。*5
(5)まわりとのコンフリクトを解決していくなかで、新しい居場所はできる。
→この章のハッピーエンド。*6 コミュニケーターの必要性。
2.ひとりの居場所
(6)誰といなくてもそこは居場所となりうる。
→「ひとりの居場所」だけしかないのは問題だが、「ひとりの居場所」は立派な居場所。しかしこれは命題(2)とぶつかってしまう。そこで次の命題(7)が生きる。
(7)一定の条件のもとでの「ひとりきり」はスティグマ化しない。
→携帯電話はひとりでいることのスティグマを解除する機能を持っている。使い方を間違えると多くの人を「ひとりの居場所」に閉じ込めてしまう可能性があるが、うまく使えば「ひとりの居場所」を生み出す絶好の機会になる。
- 「ひとりの居場所」を作り出す「マニュアル化」
- (社会から排除されている人にお金を渡すのではなく、仕事をしてもらうことで社会への包摂を進めていくという方向性が打ち出されている。)
- 積極的改善策:職場内コミュニケーションを活性化させ、労働者の自発性を引き出すことで、職場の人間関係を良好にするという方向性。
- 消極的改善策:職場内コミュニケーションをなるべく少なくし、労働者同士がコミュニケーションをとならなくても良い状態を作り出すことで、職場の人間関係を良好にするという方向性。
- 両者とも万能な処方箋にはなり得ないので、積極的改善策と消極的改善策をうまく使い分けながら、敷居の低い職場を社会に作っていくことが重要。
(8)職場のマニュアル化によって「ひとりの居場所」を守ることができる。
→マニュアルのない職場には、排他的な居場所が形成されてしまう。
- 「ひとりの居場所」を確保するという機能において、携帯電話とマニュアルは等価である。
- この問題は、ダイバーシティ・マネジメントの問題としても捉えることができる。
★家族と居場所
- かつて家族のなかで居場所が問題になることはなかったが、それは「イエ」と呼ばれる伝統的な制度の下で、家族の構成員の役割がきちんと定められていたから。*7
- しかし戦後、固定化されていた役割が不明確化し、誰が何をするかを家族で決めなければいけなくなり、問題が発生した。つまり、「ぶつかり合う居場所」によって、家族の構成員はそれぞれの「ひとりの居場所」を確保する必要が出てきた。
- 「ぶつかり合う居場所」が「居場所の拡張」や「過剰適応」にならないためには成員間での平等が前提となるが、外からの目が届きにくい家族内では、成員が非対称な権力関係に置かれることが多く、極めて不平等な形で居場所が固定化されている可能性がある。
★恋愛と居場所
- 恋愛において、ストッパーがききにくいため「居場所の拡張」は暴走を始め、「過剰適応」をしている人にとっては地獄になる。
- マニピュレーターとは、人を精神的に支配しようとする人々のことである。
- 女性のマニピュレーター「愛し合っているならばふたりはいつも一緒にいるべきだ」
- 男性のマニピュレーター「女性は仕事ではなく家庭のために生きるべきだ」
- マニピュレーターの特性のひとつに、自らの都合の良いように複数の社会的規範を使い分け、相手を追い詰めることがある。
- 「ぶつかり合う居場所づくり」が誰とでもできるというのはナイーブな思い込みで、世の中にはマニピュレーターのような話の通じない人もいることも知っておくべき。
3.第三の居場所
(9)居場所はその人にとっての「いのちづな」である。
→居場所マーカーで確認できるように、「私」はいくつもの関係性のなかで生きている。
学生のうちはたくさん「居場所」を作っておこう。
(10)居場所としての職場は、それが不安定な一ヶ所となったとき、問題化しやすい。
→他の居場所との間の「いのちづな」をブチブチ切っていくワーカホリックの状態は、それが安定した仕事と結びついているときはいいが、それが不安定な仕事と結びついたときは非常に危険なものになる。
(11)第三の居場所づくりは、オルト・エリートの知恵に学ぶことができる。
→これからは、職場と家庭以外の第三の居場所を作っていく必要がある。
4.臨界点の居場所
(12)臨界点の居場所を知ることは安心感につながる。
→自分の力ではこれ以上どうにもならない地点である「臨界点の居場所」を知ることは、自分が社会に対して内を要求すればよいかを明らかにし、「落ちること」に対する恐怖心を軽減する。
- 綱渡りの状態で下がどうなっているか見ることは大事。
- 自分の「臨界点の居場所」を知ることは、その「臨界点の居場所」と現在のセーフティネットの関係から、自分が政府に望む要求を知ることでもある。*8
- 「漠然とした不安」を叫ぶのではなく、リアルに何が足りないのかを語れ。
5.ヤンキーの居場所
- 「ヤンキー文化」は学校からの逸脱ではあったが、労働観・家族観に関しては極めて強い中流意識を前提としていた。つまり、正社員/専業主婦をモデルとした家父長的な文化であった。
- 正社員/専業主婦モデルの崩壊とともにヤンキー文化が衰退していくのは当然のこと。
- 新しい逸脱文化としての「ギャル男文化」の萌芽。
- 名前通り女性優位の、正社員/専業主婦モデルに基づかない新しいタイプの文化で、ヤンキー文化とは異なり「第三の居場所」に成りうる可能性がある。
「臨界点の居場所」の話だけで、この本を読んだ価値はあったと思った。現在は携帯電話がスマートフォンとなり、SNSやツイッターの存在によって「第三の居場所」を確保しやすくなっている。仮想空間とはいえ、そこにいれば仲の良い人とつながることができる。仕事、家庭、インターネット。「居場所」の未来は明るいのではないだろうか。