『日本語とはどういう言語か』 石川九楊

日本語とはどういう言語か

日本語とはどういう言語か

1.日本語の前提

  • 言葉は人間の表出と表現の中心に位置する。人間は言葉する行動的な存在、否、文化の水準で言えば、言葉こそ人間である。言葉を獲得することによって自然や世界から離脱した人間は、言葉というヴェールごしにしかこれらに触れることができない。
  • 言葉は言(はなしことば)と文(かきことば)の統合である。文が成立して以降、文と言の語彙と文体の相互浸透や文字が発音を規定する綴り字発音等、むしろ文が言を根底において支えるという逆転が生じている。
  • 声が言葉に内在的であると同様に、文字もまた言葉に内在的である。辞書に登載されているような意義とは別に、声や書字の肉体のいかんによっては逆の意味を盛るところに、言葉の本質が隠れている。
  • 言葉は語彙と文体からなる。自然から離脱した人間の言葉は、百万語を費やしてもついに自然や社会を把えることのできない不完全言語であり、言い尽くせないため新しい語彙と文体とを永遠に生み続ける。
  • 日本語とは、東海の孤島で生まれた言語である。総合的に考察すれば、現在の日本語にまっすぐつながる新生日本語(語彙と文体)は和歌と和文が生まれた平安中期、つまり平仮名*1の誕生期に姿を整え、成立したと考えられる。*2
  • 日本語とは漢字と平仮名と片仮名という三種類の文字をもつ言語であり、世界に特異な言語である。文字を思い浮かべることによってはじめて理解に至る日本語は、文字中心の言語である。
  • 日本語の語彙は漢語=音語と、和語=訓語と、片仮名語=助詞からなる。平仮名は訓語を成立させたが、片仮名は漢詩漢文に挟み込まれた異和であり、漢詩漢文を開き、新しい日本文・漢詩漢文訓読文をつくり上げた助詞「テニヲハ」の象徴である。
  • 日本語の文体は漢詩・漢文体と、和歌・和文体を両極として成立している。また、両極の間には種々雑多、複数の文体があり、この複数の文体の同時的存在は漢字と平仮名と片仮名の三種類の文字を有する日本語に不可避の構造的特徴である。
  • 漢詩、漢文とそれらの訓読体と音語は政治的、思想的、抽象的表現を担い、和歌、和文と訓語は主として性愛と四季と絵画的具象的な表現を担う。また、現代片仮名語の三音化、四音化は、和歌の音数律*3との関係においても考察されうる。
  • 平安中期に、漢字を媒介項として音と訓とが背中合わせになり、ニ併性の二重複線言語の日本語が生まれた。そして、中世*4、近世*5、近代*6、戦後*7、一九七〇年代半ば*8にそれぞれ転生を遂げた。

2.日本語とはどういう言語か

  • 言葉は乱れるものである。個別の日本語の美しいスタイル表現はありえても、日本語が構造的に「美しい」とは、まったく手前味噌な風説ある。*9
  • 日本語を特徴づける定義は、日本語は漢字、平仮名、片仮名の三つの文字からなる世界に特異な言語である。言語とは、言と文の有機的統一体であり、文誕生以来は文が言を規定し、領導すると定義づけられる。

    (1)文が語から成立し、文=語の構造とみなされる抱合語
    (2)文が語の集合と見なされ、文=語+語の構造の孤立語
    (3)文中の語が詞と辞に分類される、文=詞+辞の構造の膠着語
    (4)詞は変化を伴う。*10文=変化詞+変化辞の構造の屈折語

  • 言(はなしことば)の発音は文字によって、初めて固定(したがって真の変化も)され、自覚的なものと化する。有文字段階における発音は、文字によって決定づけられた綴字発音化をたどる。
  • 世界の言語の母音数については、一応五母音での切り口が基準であるが、三母音、十母音、二十母音で受け止められる言語もありうる。だが、それは単に文字に寄る受け止め型にすぎず、別段もともとの言(はなしことば)の母音数が異なるわけではない。
  • 日本語は漢語によって作られた。しかし日本語は(中国語のように)漢語によってのみ尽くされた言語ではなく、漢語からはみ出す異和を片仮名や平仮名で眼に見える形で定着した言語である。*11
  • 日本語が十万年、一万年単位であったと考えるのは本居宣長的美しき誤解。
  • 世界の種々の言語間に差があるとすれば、世界を切り取っていく切り取り方が集約する語彙と、また言葉の表出や表現は、歴史的に話され、書かれた文体を手がかりに開示されていくしかないから、それぞれの言語のもつ文体がどのように蓄積しているか、いわば語彙と文体の分布と蓄積の二つである。

日本語の書法

  • 縦書きの思考と横書きの思考とでは、異なる文と文体をもたらす。縦書き(つまり垂直書き)は文がまとまりやすく、、また重い。横書きは次々と話題は浮かびやすいが、ついつい筆が走り、まとまりを欠いた文とならざるを得ない。*12
  • 天を写しとることによって成立した垂直書きは、書法それ自体の内に天=宗教を孕み、宗教性を帯びる。ここに「天地神明に誓って」という、他者への「信」が成立する原点がある。
  • 切り込みや突き込みの弱い穏やかな筆蝕からなる日本漢字は、中国の楷書体の菱形の鋭い字界(文字枠)とは若干異なり、方形の穏やかな字界を有する。
  • 象徴的には、片仮名とは「ノ」である。平仮名は上部に「十」、下部に「の」、両者を結合した形が象徴的な筆蝕である。

*1:女手

*2:始まりの象徴は『古今和歌集』で『土佐日記』『伊勢物語』を経て、『源氏物語』がその仕上げの象徴である。

*3:五七五七七の音数律は日本語の韻律に大きな影を落としている。

*4:大陸に蒙古族元朝が成立し、それを避けて、宋の言語と語彙、文字と学問が日本に亡命し、日中二元性の日本語が生まれた。

*5:音語が訓語化し、訓語が音語的歪みをもつ、いわばニ融性の近世日本語。

*6:近代活字=印刷の成立。これによって、一字で表語性をもつ漢字と、数字連合しなければ表語性をもつことができない平仮名とが、あたかも一字単位で等価であるかのような錯覚が生まれた。

*7:当用漢字による漢字使用制限、歴史的仮名遣い廃止、公用文の横書き化によって、漢語、和語語彙の縮減と西欧語翻訳文体をもたらした。

*8:資本主義の高度化・情報化とともに英語語彙は漢字化の余裕のないほど速く言語泡沫化し、片仮名語が氾濫した。

*9:(「おはよう」の例からみる)挨拶語すら整合性をもたない言葉が、どうして美しいのだろう。

*10:ゆえに、文は接頭的変化詞・接尾的変化詞と接頭的変化辞との合体と認識される屈折語

*11:朝鮮語と同様、膠着語の構造を持つ。

*12:ブログ(ログイン - はてな)も横書きであるためか、たしかにまとまりを欠いた文が大量に存在している。さらにこの注を書いているこの文も、筆が走っている状態で、重みを感じることはない。