『単純な脳、複雑な「私」』 池谷裕二

 インチキではない脳科学者の本。中学生の時に読んでいれば人生は大きく変わっただろうし、おそらく高校生の時に読んでいても人生に大きな影響を与えただろう。そして当然、大学生である今読んだことによって今後の人生が豊かなものになっていくことは間違いないと思う。それくらいおもしろい本だった。以下、内容メモを箇条書き。
単純な脳、複雑な「私」

単純な脳、複雑な「私」

 
  • サイエンスが証明できるのは相関関係だけであり、因果関係は絶対に証明できない。科学的に因果関係を導き出すことは不可能であるので、因果関係が存在するのは「私たちの心の中に」あるだけであって、因果とは脳の錯覚にすぎない。
  • 脳は顔の左半分しか見ていない。人の顔は左右非対称な上に脳は顔の左半分しか見ていないのだから、化粧は顔の右半分を丁寧にやるのが良い。モナリザが笑っているのは向かって右半分であるため、左右反転すると笑っているように見える。
  • 一般に、自分が取った行動と感情が矛盾するとき、起こしてしまった行動自体は否定出来ない事実であるから、心の状態を変化させることでつじつまを合わせようとする無意識のこころの作用が存在する。
  • 恋愛をしているとき、脳の「報酬系」と呼ばれる部位の「腹側被蓋野」が活動している。(「テグメンタ」とも)これはヘロインを服用しているときにも活動する場所であり、盲目性を生み出す。
  • 「直感」と「ひらめき」は似ているようだが、異なるものである。「ひらめき」は思いついた後に理由が言えるが「直感」は自分でも理由がわからない。この「直感」を生み出す場所も基底核である。(ちなみに「ひらめき」は理屈や論理に基づく判断であるので、おそらく大脳皮質がメインで担当している)基底核は「やる気」や「モチベーション」に関する脳部位でもある。
  • 記憶が未来のための情報保管というのは自明として、もうひとつの大切な役割は、自分という自我を存続させることである。人間は記憶によって、自分が連続的に成長してきたとわかる。よって、記憶は「自分自身を創造している」といえる。
  • 一部の情報から全体を類推して補完する思考過程を「パターン・コンプリーション」という。パターン・コンプリーションの性質を利用して、いかに多くの記述を省略できるかというのは、文学の醍醐味である。しかし一方で、パターン・コンプリーションがあるということはそこに私たちの自由がないということでもある。無意識のレベルで強烈な推測が進行し答えが一義的に決まり、別の解釈の可能性を許さない強い制約となっている。
  • 「正しい」という感覚を生み出すのは、「どれだけその世界に長くいたか」という記憶による。「正しい」「間違い」の基準は「どれだけそれに慣れているか」の基準に置き換えても良い。
  • 記憶は積極的に再構築される。とりわけ、思い出すときに再構築されてしまう。思い出すという行為によって記憶の内容は組み換わって新しいものになる。そしてまた保管され、次に思い出すときにもまた再構築される。記憶はこの行程を繰り返して、どんどん変化していく。
  • 進化の過程で、ある生物学的形質が本来の目的とは違う目的に転用されることを「前適応」という。「社会的な心の痛み」も痛覚神経システムを使い回し、疎外感を痛覚で検知することができる。つまり、「心が痛む」ときは、脳でほんとに痛みを感じているのである。さらに、相手の痛みを理解するという「共感」を感じるとき、痛覚系の脳回路が活動している。「節約」も同じの脳回路が活動している。
  • 脳には自分を認識する回路が備わっている。つまり、自分という存在、「自己」もまた脳によって創作された作品であり、その専用回路が働かないと、自分か他人かを区別できなくなる。
  • 身体状態を説明するための根拠を人間は「記憶」に求める。このプロセスは広義のアブダクションと呼ばれる推論であり、現象を矛盾なく説明するような仮説を考え出す。こうした、身体と脳の相互作用、無意識と意識の相互作用のプロセス全体を「心」の姿だと考えて良い。ゆえに「心は脳だけに局在する」のではなく、心は全身に、あるいは周囲の環境に散在する。
  • ①「脳の準備」→②「意志」→③「動いた=知覚」→④「脳の指令=運動」という事実より、「知覚」と「運動」は独立した脳機能であり、実際に「動く」よりも前に「動いた」と感じる。
  • 脳は、この世界に誕生してみて、自分が偶然乗っている「この身体」で同時性を感受するため、時間の感覚を後天的に獲得している。私たちの知覚している「世界」の多くは、脳の可塑性を通じて、後天的に形成されたものである。そしてこの「可塑性」こそが淘汰に打ち勝つ、進化の駆動力であった。しかし、「可塑性」を持つ種が残ったあとの次の進化のステージでは遺伝が淘汰を決める。

 

 今年は脳に関するSF小説を二つ読んでいて、どちらもおもしろかった。『ドグラ・マグラ』と『ハーモニー』である。もし、この本で得た知識を持って読んでいたら、違った読書体験になったのではないか。どちらにせよ、良書であった。